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【園児たちの声01】


問題行動が多かった、
小・中学生の頃の自分。
今は良い友人も出来ました。


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私は6歳のときに養徳園に入園しました。小中学生の頃はとにかく騒ぐ生徒だったので、授業中も落ち着きがなく周囲に迷惑をかけていました。
喧嘩やいざこざも多くて、問題も多い中、中学生になりました。
中学に上がってからも僕は気に入らないことがあるとヒステリーを起こしていました。しかし、支援クラスの先生方が支えてくださったおかげで、中学3年の後半からは落ち着いて教室で過ごすことが出来るようになりました。しかし、中学校は持ち上がりなので、僕の過去を知っている子供がいない高校へ入学しました。
高校では初めて体験することだらけで、戸惑いも多く、以前のように問題を起こすことはなくなりましたが、慣れるのに時間がかかりました。でも今は、僕の個性を理解してくれる良い友人も出来、毎日がとても楽しいです。


これからは進路に向けて努力するだけでなく、今まで身につけてこられなかった「常識」をできるだけ多く身につけたいです。なかなかうまく進めないかもしれませんが、精一杯の努力をしていきます。

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【園児たちの声02】

高校受験のために通塾し、
志望校に無事合格しました。
この10年間、感謝しています。


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養徳園に入園したのは6歳の頃で、10年が経ちました。正直、10年もここにいるとは思いませんでした。

ここに来る時は親と離れる寂しさや不安ばかりでした。でも成長していくうちに、周りに子とも沢山話すようになり、毎日が楽しくなりました。沢山の行事があったりなど、楽しい日々を過ごすことができました。
高校受験が近づく頃、全く勉強が出来なかったので、塾に通うことに決めました。勉強が嫌いなので正直行くことが嫌でしたが、3年生の5月から通い始めました。そこでも楽しく勉強が出来、1日も休まず通うことが出来ました。
受験は2校受け、無事第一志望に合格できました。通塾させてくれた職員の皆さんのおかげだと思っています。この10年間、養徳園の皆さんにはたくさん助けて頂きました。

私には一つ夢があります。将来は保育士か、介護福祉士になりたいと思っています。ここに来てから、小さい子供たちと関わることが増え、将来は子供と関わる仕事に就きたいと思うようになりました。いつか養徳園に恩返しが出来るよう、夢を諦めず頑張っていきたいです。

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【園児たちの声03】

地域の皆さんの支援に感謝。
大学では日本史学か、
外国語学科に進学したい。


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私が養徳園に来たのは小学1年生の時でした。以前はイースターヴィレッジという施設に入所していました。幼稚園生の頃の記憶なのであまり覚えてはいませんが、再び学び直す機会をいただいて、とても有り難いと思っています。

養徳園の歴史を詳しく知っているわけではありませんが、私は平成生まれですし「昔はこうだった」と言われることは好きではありません。今はもう令和の時代であり、貧しい時代の日本社会ではないからです。ですが、養徳園の先代の尊敬する点はいくつかあります。今こして、地域の方々から信頼される施設になったということは、園長を始め先代の理事長先生や、職員の皆さんのおかげだと思うからです。多額の寄付金や衣服、食糧など日常に不可欠なものを寄付してくださる方々に支えられているということを、忘れてはならないと思っています。

今私は高校生ですが、目標とする大きな夢があり、大学に進学したいと考えています。そこで、外国語学科か、日本史学科に進み学びたいと思います。例えば韓国語を学んで、隣国である北朝鮮と韓国の南北統一に協力をしたいです。もしくは日本史学を学び、次世代を担う日本や世界の子供たちに日本の歴史を教えて行くのが私の夢です。その夢が実現するために、努力していきたいと思っています。

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【園児たちの声04】

養徳園は自分の居場所であり、
帰りたい場所。介護福祉士を
目指し、前進したい。


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私は幼児期の頃、養徳園に入りました。小学1年生のときにオアシスの小規模ができ、約9年間生活しています。
小学生に時はいたずらばかりして、沢山怒られました。また、空手をやっていてサボることも増えてしまいました。いま思うと、唯一の特技だったかもしれません。
中学生の頃は穏やかにはなりましたが、学校を休むことが多くありました。高校生では問題行動もありましたが、学校を休むこともなく、将来は介護福祉士になるという夢を持っています、その夢が実現できるように、今は介護職員初任者研修の実習中です。
社会に出たら沢山の壁に直面して、自分自身では解決できないことも多々あるかと思いますが、そんなときには周りで支えてくれる職員の方にも助けてもらいつつ、最終的には自分自信で決断し、後悔のない人生を送りたいです。寄付を頂いたり、陰で支えてくれう人がいるということは、幸せなことだと思います。
卒園しても、感謝の気持ちを忘れません。私にとって養徳園は自分の居場所であり、帰りたいと思う場所です。


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【卒園生の声01】

人は一人では生きられない。
養徳園で過ごしたことを
今でも誇りに思っています。


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私は3歳〜15歳まで、養徳園で過ごしました。現在は都市ガス工事士の仕事をしています。
ここにいた頃は結構やんちゃでした。当時の先生たちにはとっても感謝してます。
門の前を通り過ぎることも何度かあったんですが、なかなか訪問する勇気もしばらく持てませんでしたが、先日少額ではありますが、2年前に寄付をさせていただきました。

「人は一人では生きていけない」という、福田園長の教えの通り、感謝を常に忘れず、繋がりを大切にできる人に、今いる子供たちも育ってほしいなと思います。
養徳園の子たちは「かわいそう」と思われていることは当時から分かってましたが、園長先生、職員の皆さんが真剣に、愛情を持って育てて下さいました。卒業後は生い立ちや学歴、職業などで、比較されることもあるでしょう。私はここを巣立ったことを誇りに思っています。


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【卒園生の声02】

学校をサボってバスに乗って
「スタンド・バイ・ミー」。
養徳園は心のふるさと。


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鮮明に残っている思い出としては、学校をサボって男子5人で小遣いを出し合って、バスで宇都宮に繰り出しました。しかしお金がなくなって帰れなくなったところ、偶然にも鹿沼に知り合いがいたことを思い出し、鹿沼に寄ってお金をもらって園に戻ってきました。ちょっとした「スタンド・バイ・ミー」のような体験だったので、記憶に残っています。

また、中学1年の時は「柔道一直線」に憧れ、柔道部に所属していましたが、柔道着を買うお金がありませんでした。そんな時、養徳園の職員さんたちが少しずつお金を出し合ってくれて、一着購入することができました。有難かったです。


私は家庭には恵まれませんでしたが、ここでは、一般家庭では体験することができないことも沢山学ぶことができました。養徳園は私にとって、いつまでも「心のふるさと」ですね。



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【卒園生の声03】

いい意味で放任してもらえた
自由な環境。ここでの味の
記憶が現職に繋がってます。


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私は2歳〜15歳まで、養徳園に在籍していました。今は他県で飲食店を経営し、生計を立てています。また、動物たちの殺処分ゼロを目指すボランティア団体を立ち上げ、そちらの活動もしています。


養徳園で過ごしていた日々は今から思うと、自宅にいるような感覚で生活していました。いい意味で自由で、僕の性格を理解してか、放任していただいていた気がします。また今僕が飲食店をしていることも、ここでの培われた「味」の記憶が関連していると思っています。今後どういった形になるかはわかりませんが、いつか恩返ししたいと思っています。


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【卒園生の声04】

初の大学進学を叶えてくれた
養徳園。いつまでも、
私にとっての故郷です。


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私は3歳〜18際までを養徳園で過ごしました。園では初めて、大学に通わせてもらった最初の生徒になりました。短大を出た後、今は保育士になりました。


大きな転機となったのが、現園長との出会いでした。高校生の時には海外に行かせてもらったり、携帯電話を持たせてもらうなど、沢山の措置で本当にお世話になったと思います。
職員のみなさんにも、本当に感謝しかありません。中・高校生の多感な時期には、夜の泊まりのスタッフさんには、夜通し沢山の話を聞いてもらいました。今日学校であったこと、将来への不安や進路希望など、家族のように親身になって聞いてもらいまいた。お腹が空いた時はフルーツの差し入れなんかもよくいただきました。

今、園にいる皆さんにアドバイス出来ることは、今を大切に、過去は変えられないけれど、未来は努力で変えられる、ということ。そして決して諦めないで欲しいです。
私は前例がなかった大学への進学をさせてもらいました。私にとって養徳園は実家みたいなもので、戻るといつも美味しいごはんが用意されていた、かけがえのない環境でした。いつまでも「ただいま」と帰ってこられる場所であって欲しいです。

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【卒園生の声05】

人生の設計書を早めに作成し、
勉強に勤んで、決して諦めず、
世界に羽ばたいてください。


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卒園後、私は県外の某大手機械メーカーに就職しました。国内だけでなく、世界各地へ部品を納め、指導・生産サポートを行う仕事です。

海外での仕事は、言葉の壁を強く実感します。英会話がメインですが、中高で学ぶ英語の基礎ができていれば、あとはボキャブラリーをいかに増やすか、でカバーはできます。僕は養徳園にいる時に、英語は真面目に勉強をしていました。今となっては、結果的にそれが活きています。

今いる学生の皆さんにもぜひ、まずは勉強をしっかり頑張ってもらいです。数年間の学校の成績が足かせになって、やりたい事を諦めるなど、非常に勿体無いことだからです。将来の設計書を、ぜひ作ってください。しかも出来るだけ早い段階で、です。周りの大人たちに頼って、相談して、修正点やアドバイスをもらいながら、豊かな人生になるように努力をして欲しいと思います。
あなたが思っているほど、養徳園の環境は悪いものではないですよ。しっかり学んで、自分の可能性を信じて、世界中へ羽ばたいていってほしいと願っています。



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※インタビューの写真・イラストはすべてイメージです


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